学歴社会と格差の固定化

odzさんのとこの記事に、「自分が苦労したから皆も苦労できるだろという発想」とかなんとかいろいろ批判的なブクマコメントがついているわけですが。

裕福でないと大学にいけないという幻想 - odz buffer

私自身は、親の金で大学出してもらった(国立大自宅生)人間なんですがね。

以下、あまり関係ないこと。
最近はてなじゃ格差云々が話題になることが多いのですが、貧乏人にもいろいろいると思うんですよ。
どうも私にとっての貧乏人のイメージは、

  • 収入少ないくせに結婚して奥さん専業主婦にしてて*1
  • 子供もいたりして
  • その子供連れて夜中に居酒屋に来てたりして、
  • タバコ吸いながら、パチスロで何万円勝っただの負けただの話を大声でしてる

という…いやまあ偏ってるのはわかるのですが。

以前「東大生の親の年収」が話題になったことがありますが、子どもを東大に行かせるコストは、底辺私立大学に行かせるコストより、国立で授業料が安い分本来は低いはずでしょう。にもかかわらず明らかな年収の差が出るとしたら、それって結局金の問題ではないのではないか。

野口悠紀雄さんが「「超」勉強法」に書いていたと思うんだけど、学歴社会は、従来、親の階層で子の階層が自動的に決まっていたような時代と比べ、実力しだいで上位に上がれる社会なんですよね。一応は(もちろん問題はあるとしても)。で、odzさんが書いておられるように、金の面では、日本は、万全ではないにしてもそれなりのサポートがある。にもかかわらず格差が世代をまたいでしまうとしたら、それは努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかったという話なのかな、と思う。

*1:子供ができたら専業主婦もしょうがない、というのはわかりますが、結婚早々専業だったりする