プログラミング言語の「萌え度」

萌え、という言葉は私自身決して好きではないですし、「萌えーっ!」とか叫んでるテンション高いオタクを見てると張り倒したくなるんですがそれはさておき。
プログラミング言語にも、「萌える言語」と「萌えない言語」があると思うんですよ。左側に萌えない言語、右側に萌える言語を置くとして、数直線上に並べると、おそらく右端に来るのはRubyとかLispとかで、左端に来るのはCOBOLとかC#ではないかと。
萌え度」は「ユーザ数に占める熱狂的ユーザの割合」で計測できるように思います。近似的には、「全ユーザ数と、書店でその言語の本が占める棚の幅」でもよいかもしれません(この方法だと、Lispは誤差が大きくなりそうですが)。
Javaなんかは、かつては高い萌え度を誇っていたと思うのですが、最近じゃすっかりCOBOLみたいな扱いです。当時のJavaエバンジェリストたちはどこ行ったんだろ。
C#は……ていうかC#に限らずMicrosoftのプロダクトは、どうしてこう本がないのか不思議です。使っている人はそれなりに多いはずなのに、書店には、黄色い表紙の本のほかは数えるほどしかない。「はじめてのC#」とか見たことないですし、言語に限らず、たとえばWindowsの根幹をなすはずのCOMのようなテクノロジさえ、驚くほど本(特に入門書)がありません。これはMicrosoft萌え属性が足りないからなんでしょうか。

んで、言語を作る側としては。
私としては、萌えるが使えないドジッ娘言語よりは、面白みはなくても実用的な有能秘書言語を作りたいものだ、と常々思っております。言語は道具ですから。crowbarやDiksamがその域に達していないのは重々承知ですけれども。

ここで、

「有能秘書萌えーっ!」

なんて叫ぶ奴は張り倒しますよもちろん。